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意識の共鳴 [日々]

今朝は寒かったですが、昼頃から日差しが強くなり、ぽかぽかと空気感が違いました。おかげで車の窓を開けいました。

実は今週は、へろへろで考え方にも影響して落ち込み状態でした。そんな状態だったので金曜日は有給として休みました。今日は靈氣練習会があったのですが、直前まで行くか、やめるか、悶々として最悪でした。でもドタキャンあかんし、ひょっとしてあの人がいるかも、女性ではないですよ残念ですが、と思い参加しました。まず会って見たいと思っていた人の会えました。よかったですね、出かけたかいがありました。更にいろいろと面白い体験。

練習会ではいつもと違い趣向で、送る人はくじで決めて一人でみんなに気を送るという形式でした。しかも誰が送り手になるかは終了まで内緒。それを5回やりましたが、なんとその3回、僕が送り手になっちゃいました。くじですよ、くじ、あはああです。年末ジャンボ!

一回目はどうやってやるのかわからいので、頑張ってやってみました。終了後、師匠が「男性的な氣」だったとのことで、ほぼ僕とばれました。2回目は何となくやり方が分かったので意識的に「女性的に」と思い氣を送る。すると「さっきと違う」、「誰だろう」、ふふふ「やった」ですよね。もちろん僕ですよと白状しましたが。次の一回は別の方がやったあと、くじを引いたのは僕でした。そこで今回は「色」を意識して氣を送ってみました。「赤、橙、虹」とか思いながら、後半はみんなを抱きしめて明るい光に向かって上がっていく思いでやってみました。終了後「最初に赤、オレンジが見えた」、「ピンク色をイメージした」とか色の話題になりました。ふふふやっちましたよ。

僕は初体験なのでびっくりしました。送り側の意識が受けて側に伝わことに。みなさん肉体的な接触はありません。ただ円座に座っているだけ、誰から氣が来るか、どのような気が来るかは全く知りません。送り手の心ひとつです。

これは「心がけが人に伝わる」という極端な例かもしれませんが、事実でしょう。皆様も「あれぇ」「ピンときた」とか体験があると思います。それと同じでしょうね、どこかの何かが共鳴していると思います。「脳の機能としての他人との共鳴現象」はあるようで、論文があります。これらを簡単に「測れる」ようにするのは一つの科学技術の課題と思います。

そんな難しい話より体験的に癒されました。なんか元気になりました。「測る」理屈も大切ですが、「人が癒された」と実感することが一番大事だと感じます。

やっとこさ [日々]

今朝は本当に冷えた。
彼女も寒かったみたいで何度も布団の中に入りなおすので、たびたび目を覚ました。
そんな早朝、昨日タイヤ屋から葉書が来ていたことを思い出し、「そうだ、タイヤ変えないと」思いタイヤ屋へ朝一で行った。さすが今年は寒いと予測されていたこともあり、僕のカロゴンサイズのタイヤはなんと在庫1セットのみ。誠に幸運でした。安いタイヤを確保できたので出費を覚悟していましたが、ほっとしました。

交換の待ち時間で、Nexsus7で思うことを検索していたら、なんとAndroidのchromeはFlash playerに対応していない言を初めて知りました。今朝android 4.4にversion upしたけどなぁ。
GoogleとAdobeが仲が悪いのか知らないけど、「使用者が勝手にどうにか対応して」という対応がAmerica的というか、PCの世界は昔からそんなところがある。
なのでその手で検索してみるとやはり、同じことが話題の様で、対応策、FlashのLoadの方法がUPされていた。それをやればいいんだろうが、怖いのはセキュリティの問題。すべて自己責任なので得た情報の確かさを見極めといけないと思うのと、chromeをfirefoxに変える手もあるので少し様子見としようと思う。

tablet初心者なので、いろいろと使わないと問題点が見えてこないなあ。この世界はそんなものだけど。知識のない人は、情報から置いて行かれるのと、情報漏れ、特に友人たちの情報を取られるのが怖いですね。そう思ったので先日tabletの連絡帳を最小限にしました。また基本的にカード情報は載せないで使っています。でもfacebookはどうしようか思案中だけど、大切な人もいるのでねえ。
ちなみに、セキュリティソフトは稼働中なのでその範囲では防衛できると思いますが、何が起きるかわからん。

ちょっと寒い話でした。



人間の物差し [思った事]

人間は多くの物差しをもっています。
人を測る、「常識がちがう」という測り方もあります。また物理的に測ることができる物差しもあり、体重、血圧、身長、体脂肪、視力、張力、握力、筋力、知力、学力、読解力、財力、色度、輝度、波長、周波数、摩擦力、馬力、トルク、横力、重力、速度、加速度、高さ、長さ、深さ、気圧、風速、湿度、気温、磁力、電力、電圧、電流、回転数、照度、時間、表現力、語彙、感性、、、測れそうもないものもありますが、産業革命以来さまざまな物差しを手に入れいれて多くの物を測り数字にして文明を築いてきました。そのような中である錯覚ができたのではないでしょうか、「測れるものだけが実在する」と。

日本人は面白いと思う、それは「八百万の神」。水、山、火、ご不浄、土地、季節、空、岩、海、川、機、妖怪、鬼、般若、怪しいですがきっともっとあると思います。実に様々なところに神様を祀ってきました。これはきっと当時の人々が、人では計り知れないことの多くを「神」と呼んできたのではないですか。これはある知恵だと思います。「測れないから無い」のではなくとりあえずあるから「神様」にして、崇めて、少なくとも災いが無いように、幸せに暮らせるように願ってきた結果だと思います。
しかし西洋文明はは違う部分が多いですね。「測れから有る」が大切にされてきた文明だと思っています。これは今ある多くの文明の利器を生み、育て、人々を便利に、効率的に、清潔に、生活できるようにしてきました。このことを否定する気持ちはありません。

今日のTV「死後の世界はある」という米国の脳外科医の話は、大変興味深く見ました。久々にTVを見ましたよ。彼は「科学が無いというものは、無い」という信念の「権威ある脳外科医」だそうです。そんな彼が「業界の常識」とは違うことは言い出したので、業界を含め大騒ぎのようです。
僕には「業界の権威」「専門家」の危うさを感じましたが、内容は冷静な話で「業界の常識」に対して、体験と科学的事実、つまり「専門家として測った結果」を一つ一つ積み上げて行くのでだんだんと引き込まれました。僕は「人の測りは、所詮人の物」という考えなので、「死後の世界」のような不思議な話を信じています。でも本当にあるかどうかは死んだ人しかわからない、という落語のような話ですが。科学技術がその方向に行くことはいいことだと思います。実際にやる人は「お金、出世」には役立たず、かえって業界から変な目で見られると思いますが。
それが、お釈迦様や多くの人々が考えてきた謎、「なぜ人は生まれ、生き、苦しみ、病気になり、死ぬのか」、「心とは」というような「測れていない」問題について、「測る手段」提供することで身近になり、苦しみや不幸な考え方を少しでも修正して、幸せになれればと願うからです。
でもかえってそれに縛らる可能性もあるので、その点は注意が必要です。

「前世」とかもあるんだろうな、きっと。

気楽やね [思った事]

本当に感情的ですね。「自称ジャーナリスト(マスゴミ含む)」は。
「消費税法案」の3%だったか、5%だったか忘れましたが、「子供が100円もって駄菓子屋に行って、100円のアイスムリームを買ったときに、105円でかえないじゃないか」と言っていたと記憶しています。これとまったく同じ印象を報道、中日新聞などに感じます。

「知る権利、「知る権利」も体外にせいよ、晩御飯がわやになっちゃたぎゃー
と地方ではうけるかも。

では「守る義務」はどうすんの。
直近では「逗子のストーカ殺人」、情報元は元「公務員」の「情報漏えい」らしい。
また別の地方では、市役所の窓口で喧嘩した「市民の個人情報」利用して無い収入があったような文書の偽造らしい。今騒いでいる人々が大好きな「市民」「個人情報」を「守る義務」を持たない公務員ばっかじゃないですか。その事実をなぜ「スルー」するの。理不尽な形で人生を終わらせても、「単なる一市民の個人情報」という価値判断ですかね、報道は。それとも「公務員の個人情報の扱い」の程度がわかると、都合が悪いんですか。自治労、日教組、国労、動労好きな「自称ジャーナリスト(マスゴミ含む)」は。

結局「マス」は大半でないですね。特殊な思想の人々ではないですか。

「一事が万事」、小さなことを無視するとに「大局」が語れるのか。
もし、「一人の命より国防、外交を知る権利が大事」というなら、今までの自称反戦は何でしょうか。これは「一人殺すと殺人だが、100万人殺せば英雄」という話と同じではないですか、僕にはそう聞こえます。
目の前の「個人情報」を守れない「公務員」に、なぜ「国防」「外交」情報が守れるのか。地方公務員と国家公務員は「質」が違うとでも言いたいの。自分の退職金、天下り、老後しか考えない人々と何が違うのか。全くわからん。
「公務員は疑われた時点で退職金なし」でいいじゃないの。「自称ジャーナリスト(マスゴミ含む)」の大好きな中国では1審で死刑、即銃殺。
あの市議の人権は「知らん顔」、「中国人学者、朱建栄氏」の人権、言論封殺も無視ですね。

ああ、気楽やね。

練習 添削歓迎! [想い]

おいしいね
お鍋をはさんで
うんといい
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人のそれぞれの原点 [生き方]

昨晩は夕食を食べたあと、Craigの店に飲みに行った。

久々の楽しい夜。彼の店は、国籍、人種、年齢、性、さまざまの人が来る、そこが面白い。
僕は適当に「Hey!」と声をかけて会話を楽しむ。もちろん三河弁エッゲリシュである。ははっは。
昨晩は初めてロシア系カナダ人と話す。会話は適当、わかる、わからん、適当に笑う。
彼はサンテブルグ?と出身と聞こえたが、わからん。
21歳の女子大学生の新しい店員さん、結構好みと思いつついろいろとは話をしていると、横からCraigが「また、くどいて」とかチョッカイをだす。「そうだよ」と答え楽しむ。
また、Craigがおすすめのボジョレーを「渋みがあって深い味」と酔っぱらっておもながら飲む。実はボウジョレーは人生初体験。
そなこんなでガヤガヤやってると、プロらしい方がフォークギターで、ガシャガシャ。居合わせた客たちと、ameriacn standardも含め合唱。

本当に、「人の原点」とはなにか、なんて言う問題を忘れることのできる時空間だった。

Craig'Beerはまだ出てなかった事が残念だったが、またなCraigといって歩いて帰宅。

ありがとう。

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晩秋 練習 [想い]

すすきのを
北風が
撫でてゆく

晩秋に
北風と戯れる
ススキかな
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練習 [想い]

草いろいろおのおの花の手柄かな
タグ:想い

免許更新で考える。131116 追記 [生き方]

季節感の無い仕事。
いつもの穴倉で昨日作ったソフト、機能的には更なる改修が必要だが、少し使って出力、結果をまとめる。そんな事を午前中にケリをつけて、暖かいのか冷たいのかわからない雨の中、免許更新に警察署に行った。
こんなオヤジだけど、写真うつりを気にして、僕色のシャツとセータで、ちょびっとオシャレ(自分比)する。「写真は選べるのか」、「少しはわらったほうがいいかねぁ」とか、今まで考えた事のない事を考えつつ向かう。ヘンなの、ふふふ。
実は今回は初めてのゴールド免許になる。30分程度の講習と手続きと待ち時間、1時間ぐらいでした。ICチップ化、臓器提供の意思表示欄で裏表が新型となった。ちなみに写真は選べなかった、残念。

僕は尊厳死協会に入っている、脛齧り1,2号たちにはその旨を伝え了解を受けている。また死後は「検体」を考えていたので、ここで「さて臓器移植、どうしたものか」と考えだした。
「死とは」、「脳死が死か」、そもそも御手頃な脳波計で、人の脳活動が測れるとは思っていない。もちろんその他の医学的な知見を持って「脳死」と決めるのだけど、現代医学で「死」が定義されているのなか。また物理的な事を置いといても、そもそも「脳はこころ」かと言う問題もある。

幸いに子供の頃から、飼っていた魚、鳥、虫、動物たちの死を見つめて来た。祖父、祖母、母の最後は現場いにいました。皆、静かに旅立って行った。その様な静かに見送る場面の後で、再度手術室に送って、解体の様な臓器取り出しをしたくない。もちろんそんな場面を見える訳もない。医療関係者も遺族の静かな感情をしっかりと受け止め、次の命へと役に立くれると思っています。
母は、12月で6年になるが、脳出血でほぼ即死。でも最後に呼吸が静かに、静かに弱くなって行くのを見ていると、そのあと母に時を争う臓器摘出の時間を過させ気にはなれない。母の場合は高齢だったので、臓器提供の選択は最初からなかったけれど。自分がその様な最後を迎えるのか思うと、少し考えにくいと思っています。その前に薬とアルコール漬け臓器は役には立たないと思うけど。

この様に文字にして読んでみると、やはり僕は臓器移植はしません。「検体」して医学生に好きなように解剖してもらおう。僕は脳出血しているので左脳の一部が無い。そんな体が解剖対象になるか否かは知らないけど、個人的な結論としてそうします。脛齧りたちには、再度言っておこう。

お月さまが鮮やかな夜、少し気温が戻ったとは言え、人恋しい夜だ。

【131116 追記】
今まで書いた事を振り返ると、「送る側」の立場で考えていた事に気付く。「送れる側」に立って見ると、心臓停止し死が宣告されたあとは、正直どうでもよい。脛齧りたちの都合でよい。生きようとする命の為に役に立つと脛齧りたちが考え、専門家の要望があれば好きにするがいいと思う。
これも話しておかないといけない。

やっぱりこれかなぁ [生き方]

「人と人の縁を結ぶ」
これかもしれない、僕が一番やりたい事は。
1人1人に寄り添って、その人が明るい未来を持てるようなお手伝い。

過去、1人のお手伝いをした事がりますが、嬉しい事でした。
まさか結婚披露宴で紹介されるとは思っていませんでした。

今日、お見合い番組をみて思い出しました。
「これかなぁ」っと。

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